昨日,今日と,青焼きやDDCP(プルーフ)のチェックをしていていました。
そして,DTPが始まって何年たってもなかなかなくならない,DTPの怖さを再び実感しましたので,そのお話をします。
ちなみに,どうして青焼きとDDCPの両方があるかというと,作業している書籍のうちの1冊は,既存のフィルムの一部を差し替えてフィルムの複版をとって改訂しているからです。
DDCP(プルーフ)のほうはもちろん,全ページがデータ入稿のCTPです。
ちなみにDDCPについては,プルーフといったり白焼きといったり,インクジェットといったり,なぜかそれも青焼きといったりと,編集者や出版社によっていろいろな言い方がありますが,うちはDDCPといっています。
さて,今回実感した恐ろしさとは,三校の恐ろしさです。
原稿,初校,再校でしっかりチェックし,外部校正,外部編集者など,再校まではしっかりすぎるほどチェックをいれました。
そして再校では,どうしても直しておきたいところ以外は,どうでもよいミスを減らすために,必要以上の余分な修正はしていません。
そのため,基本的に三校では,修正を入れた箇所以外のチェックは基本的にせず,ざっと最終素読みをしただけでした。
しかし,青焼きをチェックしていると,ふと視線が止まりました。
(ページ単位でデータ入稿し,データからフィルム出力しているので,こちらもDTPでの制作です)
図版のところで何か違和感を覚えたのです。
何度も何度も見ているので,記憶の片隅に残っている画像と違うような気のする図版がちらっと目にとまりました。
ところで,基本的に青焼きやDDCPでは内容チェックや素読みなどはしません。
面付けがおかしくないか,入稿データどおりに出力されているか,裁ち落としまで出力されているかなどのほか,念のため小口とノドがまさかとは思いますが逆になっていないかなどのチェック,あとはざっと眺めて,おかしいところがないかどうかのチェック程度です。
しかし,これだけの作業をしておくと,記憶上にない違和感を覚えることがあります。
そして今回ありました。
再校まではまったく問題のなかった箇所,しかし再校で修正の入ったページについて,まったく修正とは関係のない部分のデータが一部消えていました。
冷や汗ものです。
いままでもときどきありました。
三校または四校で,消しこんで校了と思っていたのに,なぜか関係のない箇所がおかしくなっているという状況です。
版下作業ではまず起こらなかったことですが,DTPになってからそのようなことがときどき起こります。
三校での消しこみ作業では,内容チェックをしなくても,修正のなかった箇所も含めてできる限り再校と照合したほうがよいのかもしれません。
そのためにも,再校までに修正箇所は極力減らしておき,再校戻しはどうしても修正せざるを得ないところのみにできるようにしておく必要があります。
そうしないと,照合しているだけで多くの時間を費やしてしまいます。
DTPになって簡単に直せるようになり,気になるところを必要以上に修正したくなります。
しかしそれが,かえっていらないミスを引き起こす引き金にもなります。
妥協はしたくありませんが,ミスよりはマシかなとも思ってしまいます。
しかし,妥協とこだわりのバランスをとるのが難しいのですがね…。